コラムcolumn

第1弾、追手門学院大学経営学部 学部長 水野浩児様 によるコラム

追手門学院大学経営学部 学部長 水野浩児

昭和43(1968)年生まれ
追手門学院大学 経営学部教授・学部長
これまで奈良・三碓陸上クラブで小学生の指導にあたるなど
陸上競技に熱い情熱を注ぐ
ラジオ大阪「水野浩児の月曜情報スタジオ」出演
2017年7月~毎週月曜日放送

第1弾、追手門学院大学経営学部 学部長 水野浩児様によるコラム

[その12]逆境に立ち向かう勇気と社会を変える原動力 -まずは小さな一歩から-

先日、パラリンピックが閉幕しました。オリンピック同様、開催には賛否両論の意見があり、どうしても不安が払拭できない中で、各競技がスタートしていきました。恥ずかしながら、これほどパラリンピックに釘付けになったのは、今回が初めてでした。これまでもパラリンピック競技はテレビで見ることができたはずですが、ここまで選手の一挙手一投足に注目し、真剣に見入ってしまったのは私だけではないでしょう。

選手が懸命に頑張る姿、競技に対する誇り(リスペクト)、サポートしてくれている周りの方々への感謝の気持ち、これらはオリンピックでも同じような感動を味わいましたが、パラリンピアン一人ひとりからうねり出されるようなパフォーマンスに、言葉どおり「魅了」され、胸を打たれる思いをしたのは、パラリンピックでしか感じたことのない心の揺さぶられ方でした。

JPC(日本パラリンピック委員会)の河合純一委員長は、委員長に就任した際の記者会見で「よくオリンピックは平和の祭典といわれるが、パラリンピックは人間の可能性の祭典だ。」とおっしゃっておられました。我々の想像を遥かに超えるパフォーマンスを目の当たりにし、同じ人間としての「可能性」に触れた体験が、これほどまでの高揚感を生み出したのだと、私はおもっています。

パラリンピックを機に、障害の有無や年齢、性別や人種の垣根を取り払い、誰もが余すことなく個性と能力を発揮し、一人ひとりが輝ける社会を本当に目指していかなければならないとおもいます。パラリンピアンから得た「気づき」はこれからの成熟社会に役立てなければなりません。赤・青・緑の3色で表現されたパラリンピックのシンボルマークは「スリーアギトス」と呼ばれ、「アギト」とはラテン語で「私は動く」という意味を表すそうです。困難なことがあっても諦めずに、限界に挑戦し続ける選手たちの躍動を表現しています。

コロナ禍により、悶々として、うつうつとした時間は、もう2年近く続こうとしています。行動に制限がかけられ、他人から常に自分の動きを見られているような抑圧感。私を含め、ほとんどの方が非常にストレスを感じている日々だとおもいます。ただ、この不条理さに不満を唱えているうちは「多様性」が認められた社会には近づかない気がします。

これまで、社会はマジョリティが最適化され、彼らが過ごしやすい街や空間が作られていました。その反動といっては少し言葉がすぎるかもしれませんが、マイノリティにしわ寄せがいってしまうことが多くあったのだとおもいます。このバランスの均衡化に違和感を覚えなくなっていく世の中が、本当の意味での共生社会につながっていく気がします。

「やらない理由」や「言い訳」を口にしてしまうことが増えた今日この頃ですが、私は動き始めました。忙しさを理由に、長らく会費を払うだけだったジムに再度通う時間を作り、久々に汗を流す習慣を取り戻しています。壮大なお話をしたあとに拍子抜けするような、小さな話ですが、まずは小さな一歩から、ですよね。

[その11]「がんばったで賞」はもう古い? オリンピックを通じて想うこと。

先日閉会した東京2020オリンピック。皆さんも連日の中継・報道等で選手たちの活躍に一喜一憂する日々を過ごされたのではないでしょうか。

かくいう私も一人のランナーとして、また、体育会サッカー部の顧問として、日々スポーツに携わる機会を多く持つこともあり、オリンピック開催を非常に楽しみにしていました。

一方、オリンピックを開催することにより新型コロナウイルス感染拡大に歯止めが効かなくなることは、連日のように専門家の方々が強く訴えられていました。その考え方や危険性についてはとても納得のいく論拠を唱えられていましたので、感染対策に不安が残る中での開催については反対せざるを得ないとも思っていました。

そのような期待と不安が入り交じるなか、気がつけば開会式のセレモニーが放送されました。入場時に使用されたBGMや「動くピクトグラム」のパフォーマンスなどに日本中が魅了され、一気にオリンピック歓迎のスイッチが入ったような感覚になりました。

そこからは、史上最多となる金メダルを獲得した柔道をはじめ、新競技として注目されたスケートボード・サーフィン・空手・スポーツクライミングにおける選手たちの躍動、野球・サッカーなど開会前から注目度の高い競技での躍進など、「オリンピック反対」の様子はどこ吹く風。またたく間に「オリンピック」が我々の日常を席巻していきました。

改めてスポーツの魅力に心酔させられた私たちですが、ランナーの皆さんにとって、一番頑張りが理解しやすい競技は「マラソン」だったのではないでしょうか。

NHK総合が8日に生中継した「東京2020オリンピック男子マラソン」の世帯平均視聴率は31・4%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)で、競技では野球決勝(日本―米国)の37.0%に次ぐ視聴率を記録したようです。

残念ながら今大会マラソンではメダルの獲得は叶いませんでしたが、メダルを獲得した他の競技と同様に、彼らの活躍ぶりに「感動」と「満足感」がありました。大迫選手はレース後に「100点満点の頑張りができた。いろんな人が応援してくれて非常に力になり、次の世代につながるレースになった。次の世代の人は頑張ればメダル争いに絡めると思う。それは後輩たちの番です」とコメントし、いよいよ男子マラソンもオリンピックでメダルが狙えるレベルに到達しつつあることを証明してくれました。

今大会では、これまでメダルを獲得出来ていなかった男子フェンシング(エペ団体)や女子バスケットボールなど大きな飛躍と結果を残した競技が数多くありました。世界に「通用しない」現実を改めて直視し、過去の成功体験による考えはリセットしたうえで、「世界基準で結果を残すため」の良い指導を仰いだことが大きいように思います。メダルこそ獲れませんでしたが、男子サッカーが世界レベルに到達していることも、彼らがヨーロッパをはじめとした「世界基準」で日々努力を積み重ねていることに起因するでしょう。
「ニッポン」のスポーツが根性論をベースとした血と汗と涙の結晶を美徳としていた時代から、様々なデータや最新の理論に基づいたトレーニングやカラダの管理、戦術などを身につける時代に変化したことでこのような素晴らしい結果を生み出せるようになったのだと思います。実際に、オリンピックでのメダル獲得数はこの20年間で大幅に増え、メダルに届かなかったスポーツも軒並み世界トップレベルに近づきました。

東京2020オリンピック(2021年開催)のメダル獲得数は58個(金27・銀14・銅17)
シドニーオリンピック(2000年開催)のメダル獲得数は18個(金5・銀8・銅5)

ここで、少し脱線した話になるのですが、「経済」に目を向けます。経済成長の目安となるGDP(国内総生産)ですが、日本はシドニーオリンピックが開催された2000年535兆円という規模でした。それから20年経過した2020年のGDPは538兆円と、ほぼ横ばいです。一方で、2020年における中国のGDPは日本円で1,628兆円、2000年当初と比較するとなんと10倍以上に拡大しています。中国以外のアジア各国もこの20年で目覚ましい経済成長を遂げています。

この20年で経済成長に成功した多くの国は、経済面で「世界に通用しない現実」を認め、その解消と変貌に並々ならぬ努力を積み重ねてきたのだと思います。それこそ2000年当時は経済大国であった日本を見習い、何を「強み」にするか、どうやって「弱み」を和らげるか、必死に学んだのだと思います。

過去の成功体験に固執し「がんばったで賞」に誇りを抱く時代はもう周回遅れです。このオリンピックを通じてそう感じる方は少なくないはずです。頑張る「フリ」が結果をもたらさないことをスポーツは証明してくれます。

東京2020オリンピックを開催してよかった、という感動をもたらすのはスポーツだけにとどまらないことを願うばかりです。

[その10]「本物」こそ、至高! 若者の流行からの気付き

いま学生の間では「昭和」っぽさが、一周回って「新しい」ものとして脚光を浴びていることを皆さんはご存知でしょうか?

半年ほど前からいわゆる「イマドキの若者」の間でレトロブームがきている、という話題を耳にするようになりました。我々の世代からしたら懐かしさを覚え、当時は当たり前だったものが、彼ら彼女らからするとどうやら「映える」そうです。このレトロブームは被写体としてのものなのだろうと勝手に先入観を抱いていたら、先日ゼミ生のスマートフォンから80年代の懐かしいメロディが次々と流れてきました。まさか、いまをときめく大学生と私が大学生時代にラジオで幾度となく聴いた曲で盛り上がるとは夢にも思いませんでした。しかも特定の子が「マニア」として聞いているのではなく、他の学生も80年代の曲をよく知っていて、もはや歌謡曲を聴くことは「日常」と化しているようで、驚きを隠せませんでした。

令和を生きる10代20代の若い世代が昭和に共感する姿は未だに信じがたい光景ではありますが、「昭和」市場が潤っているのは全世界からのニーズでもあるようです。音楽の話が続いて恐縮ですが、近年日本のレコードとカセットテープが大きく売上を伸ばしているようです。アメリカに至ってはレコードの売上がCDの売上を上回るほど市場規模が拡大しているそうです。そういった影響やECサイトの普及により、日本のレコードも海外の購入者が右肩上がりに増加しているそうです。

レコードに限らず、コロナ禍において日本の漆器をはじめとした伝統工芸品の売れ行きが伸びたり、アフターコロナにおける「行きたい海外旅行先」としても日本はとても人気が高いようです。おいしい和食が食べたい、美しい景色を見たいといったニーズが多く、とうとう「ジャパンロス」という言葉が誕生したほど、海外からは日本に熱視線が送られています。

なぜ、この期に及んで「昭和」や「日本」が注目されているのでしょうか?私は、そこに「本物の良さ」が存在しているからではないか、と見ています。40~50年前に日本中が熱狂したアイドル、こぞって履いたスニーカー、目に焼き付けた映画・・・そこには当時の若者を虜にする「価値」があって、その価値は時代が移ろいゆいたとしても変わらない価値、「本物の良さ」があったからこそいまリバイバルブームが到来し、当時トレンドの最先端にいた年代と同じ歳付きの若者に刺さるのだとおもいます。

まもなく東京オリンピックが開幕します。オリンピックという大会を通じて世界中が様々なスポーツに触れるとても特別な時間・空間です。残念ながらこのオリンピックは生肌で感じることは叶わず、メディアを通じて各競技を観戦することになりそうですが、つい夢中になって画面に釘付けになったり、息を呑む音すら大きく感じるほど静寂に勝負の行く末を見守るのは、スポーツそのものに「本物の良さ」があることを本能的に、刷り込まれているかのように知っているからではないでしょうか。

ここまで来たら、ランナーの皆さんも言わずとも気づいているとおもいますが、「Run」も昔から変わらない良さがあるから、いまも多くの人が「走る快感」に酔いしれているのだとおもいます。競技としてのマラソン、スポーツとしてのランニング、趣味としてのジョギング。ランナーそれぞれが求める価値に合わせて多種多様な「Run」があります。ここまでバラエティに富んだスポーツは珍しいですよね。
だから、私たちは「走り続ける」。そこに走る「価値」や「意味」が見いだせるから。これまでも、そしてこれからも。オリンピックが皆さんにとっても「本物」を改めて認識する素敵な機会になり、世界中に感動をもたらす祭典になることを祈念します。

[その9]あえて教えてもらう側に回る重要性 -弱さを認めることが真の強さとは?

長年同じことを続けることって正直しんどいですよね。毎朝5キロのランニングを10年間続けています!といったようなお話は、他人から聞くと尊敬に値し、すごいなぁと素直に感嘆しますが、自分に置き換えて同じような話ができるか、というとなかなかそのようなエピソードを持ち合わせていなかったり、同じように頑張ろうとしても道半ば、何なら三日坊主で終わってしまうようなこともよくありませんか?

この書き出しからでは自慢話に聞こえるかもしれませんが、私は大学教員として教鞭をとる傍ら、長年ラジオ大阪で番組のパーソナリティを務めています。今年で18年目を迎え、毎週1回収録に向かうことは生活の一部のようになっています。

このようなお話をすると「なぜ長期間にわたってラジオ番組を担当し続けられるのですか?秘訣はありますか?」という定番の質問をよくいただきます。その際、私は決まって「トークが上手くないことを知っているからです」と答えます。

謙遜ではなく、毎回新鮮で面白い話ができるから人気を博したわけではないと自覚しています。事実、ラジオを担当し始めたころはディレクターの冷ややかな視線を浴びてばかりでした。「自分が言いたいことを言ってるだけですね。」「マイクの向こうにリスナーがいることを意識していますか?」「リスナーは何を聴きたいと思っているか考えたことありますか?」「リスナーに届くトークでなければ、失敗しても誰も失敗と気づいてくれませんよ。」など、痛烈なダメ出しばかりされていました。

いま思えば、パーソナリティに抜擢されたことで舞い上がっていたのか、自分のことを「上手く・かっこよく・いいこと」を伝えられる人間なのだと自己陶酔していました。慢心によって、全く響かない言葉でトークをし続けてしまっていたようです。

それに気づいた後は、「気取らない、飾らない」を意識して、「先日は電気店でテレビの値引きを頑張った」「溜めたポイントが失効して悔しかった」といったような生活感のある身近な話題と世相を絡めて経済や経営の話をするように変えると、リスナーの反応が見違えてよくなり、自分自身も楽しくなってきました。

8年前からは更に工夫を凝らし、プロデューサーにお願いして、私のラジオ番組のアシスタントディレクター(AD)は、私のゼミ生が担当しています。番組の構成や話のネタはADである学生がすべて考え、私と打合せをして、彼らの考えを私が代弁しているような番組にしています。常に20歳前後の目線からトークを展開しています。最初は違和感を覚えることも多くありましたが、年齢を重ねるにつれ、いい意味でギャップが生まれ、新しい発見をする機会も増えて、刺激的な時間になっています。

小さいころから20代ぐらいまでは一方的に何かを教えられ、自分は何もできないんだなぁと無力さを感じる機会に事を欠きません。お箸の使い方がわからない、逆上がりができない、英語の文法が理解できない、ネクタイがうまく締められない、会議の議事録が書けない、など完全に素人であるがゆえに「教わらないと何もできない」という経験をたくさんします。

ところが30代ぐらいを迎えると、これまでの経験から「なんとなく」ある程度何でもできてしまったり、できるだろうと思われて「正しいこと」や「新しいこと」を教えてもらう機会が激減します。無力さを感じる機会が訪れないことで、いま持ち合わせている引き出しだけで対処し続けてしまいます。自身をアップデートする機会を逸し、ひいては「学ぶ力」を低下させることにつながっていきます。

かくいう私もそうですが、「失敗が許されない」年齢を重ねてきたからこそ、いまからの失敗は怖くてたまりません。築き上げたプライドが崩れ、大きな傷を負ってしまうこともあるでしょう。ただ、これから次々と新しいモノが生み出されるこの時代に、いろんなものを吸収できる土壌がないのは死活問題にきっとなります。

日々のランニング、前後のストレッチ、履き慣れたシューズ。昔からの習慣に変にとらわれていませんか?人にアドバイスをもらうとき、自分と同じような年代やタイムの人に尋ねて、悩みを共有することで安心感を得るだけになっていませんか?少し勇気を出して、あえて教えてもらう側に回ることで、自分の弱さに気付かされることはよくあります。弱さを知ることで本当の意味で強くなれると私は信じています。

そろそろ季節は夏を迎え、外でのトレーニングは一層過酷さを増す時期になります。どのスポーツでも厳しい夏の暑さと練習で一段と成長する、と言われます。もしかすると自分に厳しくなるにも、もってこいの時期ではないでしょうか。

[その8]コロナ禍ではメリハリが重要??環境の変化と意識の変化は何をもたらすか。

コロナ禍の中、大学も2021年度の授業がスタートしました。追手門学院大学では、オンライン授業と対面授業を併用したかたちで授業をおこなっています。対面授業では、教室内で受講する学生の数を100名未満とし、かつ、教室内の定員(座席数)を従来の2分の1以下とし、更に全ての授業で座席指定をおこなうなど感染予防に努めています。

学生たちは昨年度の前半オンラインでの講義受講を余儀なくされました。後半は徐々に対面での授業も再開しましたが以前のようにはまだ戻っていません。オンライン授業と対面授業を併用した学生生活は2年目とはいえ、まだ浸透してから1年も経っていません。まだまだ不慣れな部分もあることが不安視される頃合いだとおもっていましたが、先日、私が担当している対面授業の受講者の様子を見て、あることに気がつきました。受講生の集中力がとても高く、居眠りやスマホをみる学生が皆無でした。恥ずかしながら、コロナ前の講義では、居眠りや私語の注意が少しはありました。その要因は2つあると考えていて、1つは自ら納得できる授業を選び、大学に出てきて学ぶことの喜びを感じていること、もう1つは、座席指定なので無理に友達と隣り合わせに座らなくていいことです。

授業を選択する際の要素に「授業形態」が追加されたことで、よい意味で受講に対する「責任」が高まったように感じています。これまでは大学の授業も「与えられるもの」という意識が少なからずあったのかもしれません。いまは、自分の学修スタイルにあった学習方法はなにか、大学に登校したからには何を得たいのか、といった部分に感度が鋭くなっているような気がします。大学に来て、対面で友人と適度なコミュニケーションをとることは、人間関係の構築やこれからの人生を豊かにするために非常に貴重な時間となりました。しかし、それを講義中にもかかわらず費やすことは学生の本文としては本末転倒。勉強するときには集中して勉強に取り組むことの価値が見直されたようにおもえます。メリハリやバランス感覚の重要性にこのようなかたちで気付かされるのは意外でした。

さて、その話をスポーツに向けてみます。スポーツは競技種目や取り組むスタイルによって温度差やレベル感に差異があるとはいえ、ほとんどの場合において目標設定をして取組みます。大会で優勝したい、誰々に勝ちたい、など目標設定が具体的で、その目標達成のために選択される手段が適切であれば、目標達成の近道になります。

例えば、意識の高い人と練習したり、トップクラスの選手と練習ともにすると効果が上がる、といった経験をしたことはありませんか?それは明確な目標となる人物の一挙手一投足に着目し、自分自身の糧にできることはないか必死に探して、ときには盗むことに集中して取り組むことができるため、普段の何倍もの練習効果があるように体感できるのだとおもいます。

環境を変えることで意識が変わることはよくあります。それこそ座席が指定されて友人と隣り合って講義を受講しなくなった環境の変化によって学生の集中度が増した、ということはこれに当てはまります。ただ、環境の変化は待っていても適切なタイミングで訪れるとは限りません。自分自身の意識を変革することで外的な環境は変わらなくとも内的な環境(考え方うや視点など)を変えることでパフォーマンスを上げることは可能ではないでしょうか。

マラソンはいい意味で自分の世界を作りだして、自分自身と向き合うことができる競技です。「タイム」や「距離」といった明確な目標設定もしやすく、結果の可視化が容易な競技に分類されるでしょう。以前までのようにリアルな場で大勢の仲間達と一緒に走る機会は減っていくのかもしれません。それでも自分の記録を広く公開したり、共有したりすることでこれまで以上に多くのランナーと切磋琢磨できる機会を得られるようになるのがスタンダードになるのかもしれません。マラソンも現実とオンラインを併用した新しいスポーツに生まれ変わることでより熱を帯びていくスポーツに変容していくかもしれませんね。

[その7]スマートフォンがご主人さま?

スマートフォンがご主人さま?情報化社会の進化に正しく付き合うには

スマートフォンをお持ちの方は大半の方が共感してくれるとおもっているのですが、外に出かけた際、うっかりスマートフォンを持っていくことを忘れてしまうと、すごく不安になりませんか?後悔しませんか?
少なくとも私は頭を抱えてしまうほど後悔の念にとらわれてしまいます。

もちろんその理由は仕事柄、いろんな方と連絡が取れなくなってしまうことや情報収集ができなくなってしまうなど、仕事に支障が出ることがメインにはなりますが、「自分」を認識できない可能性にかかわる不安が押し寄せることも理由の1つとして挙げられます。

普段、スマートフォンをはじめとした携帯端末をどのように利用していますか?
電話やメールなどといった連絡手段として利用する人もいれば、WebサイトやSNSを活用した情報収集のための端末として利用する人や、中にはいわゆるソーシャルゲームを行うための娯楽要素が強い方もいるかもしれません。

それ以外にも、いまは多様なアプリが展開されているため、その便利さに惹かれて何かしらの「記録」を保存するための媒体として使用する方も多いのではないでしょうか。

例えば写真(カメラ)。街ゆく風景や旅行先の記憶を残すための写真やメモとして写真を使用する人もいまや当たり前といっていいほど多くいるでしょう。他にも睡眠時間、体重や摂取カロリーといった健康管理に関するもの、はたまた特定のWebサイトを介して買い物した購入記録を確認するためにも使用しているケースも多そうです。ランナーの方でいえば、走った距離・時間・コース・心拍数などを記録できるアプリがあるため、そういった機能を重宝している人も多いことが考えられます。

話は冒頭に戻りますが、私はスマートフォンを忘れてしまった場合、あらゆる「記録」が確認できず、それに対する不安を覚えて「しまう」ようになってしまいました。
スマートフォンの利便性にかまけて、といってはおこがましいですが、何でもスマートフォンを頼ることで「自分」すらもスマートフォンに保存してしまっているような、主従関係が逆転してしまっている感覚に陥ってしまうことがあります。

手段の目的化ではないですが、もしかしたらランナーの方の中にも「走ることが好き」だからランニングを習慣化して、それを見える化するためにスマートフォンのアプリで走った距離や時間を記録することを始めたにもかかわらず、いつの間にか「記録を残し続けるために」走っている人がいるかもしれません。

走ることの素晴らしさは、走っているときに感じる風、移り変わる風景、なんとも言えない高揚感(ランナーズハイ)など、スマートフォンには残せないものがたくさんあります。
自分自身でしか得ることのできない、記録(数字)に残せない特別な体験は、ある意味これからとても付加価値の高いものになっていくような気がしています。

最近、YahooとLINEが経営統合することが報道されました。GAFAと比べればまだまだ足元にも及ばないかもしれませんが、膨大な個人情報を集約できうる企業が日本にも誕生したことがとても衝撃的です。

日本初の巨大IT企業としてサービス創出に期待が高まる一方で、個人情報の管理やデータ利用の透明性を高める取り組みは欠かせません。なぜなら、彼らの発展には我々が普段利用しているサービスの「記録」を分析、加工、利用することが必須になってくるからです。

スマートフォンを始めとしたデバイスに甘えて、なんでもかんでも情報を搭載していくことは、はたして正しい行為なのか。主従関係を履き違えないことは、今後とても大切な情報リテラシーになりうることでしょう。

[その6] 「実力を発揮する」 ことの難しさ

「実力発揮することの条件」とは一体なんと答えたらいいのでしょうか。

1月31日に号砲した大阪国際女子マラソン。新型コロナウイルス感染予防対策の観点から、公道には出ず、大阪市内にある長居公園内を約15周にわたって周遊するコースで行われました。高低差がなく平坦な道が続くこと、風の影響を受けにくいコースであること、ペースメーカーに有名な男子マラソン選手が起用され、大会記録や日本記録を見据えたハイペースな展開が予想されることから、出場選手の好記録が期待されるという異例なレースとなりました。

当日はテレビ放映もされ、ゴール直前までペースメーカーが牽引する姿やペースメーカーが出場選手に声掛けをするなど、これまでにあまり見たことのないシーンも目にする新しいマラソンが映し出され、新鮮なところもありましたが、レースの結果としては期待された日本記録の更新はなされず、優勝した選手の悔し涙が溢れてしまうなど「勝者なき大会」として幕を閉じてしまいました。

ところで話は大きく変わりますが、大学はいま、受験シーズン真っ只中です。私自身も、大学の一教員として大学入試の業務に携わる機会があり、高校生が入試問題と真剣に向き合っている姿を目の当たりにしています。

入試は、当日までの粘り強い学習の積み重ねはもちろん大事ですが、もう1つ当日までに大事なこと、やり遂げなければならないことがあります。それは、体調管理です。
これからの人生(進路)をかけた「受験」は、実力をつけるための学習と実力を発揮するためのコンディション(=万全な体調で臨むこと)が大切とされています。

特にこの時期は例年インフルエンザが猛威を振るう季節であり、加えて、近年の温暖な気候の影響で花粉症のスタートも年々早まっているような印象を受けます。そこに今年はコロナウイルスの心配まで重なりました。風邪や花粉症の軽度な発症が、クラスターを引き起こしかねないコロナウイルス感染症かもしれないというとてつもないプレッシャーの中、受験勉強と平行して体調管理をしてきた高校生やそのご家族は、相当神経をすり減らしながら日々を過ごして来られたのだろうとおもいます。

話を戻します。スポーツにおいて当日、最高のパフォーマンスを発揮するには、最高のコンディションを整える必要がありました。ここでコンディションが指す意味合いの多くはフィジカルとメンタル面でした。120%のチカラが発揮できる筋肉の状態、最高潮に高ぶったモチベーションを整えることに神経を使っていたスポーツ選手は、ここに「コロナウイルスに感染しない、感染するリスクを回避する」という新しい要素にもエネルギーを注ぐ必要が出てきました。

間違いなく試合(レース)当日をベストな状態で迎えることのハードルが高まっていると言えるでしょう。
野球やサッカーをはじめとしたチームスポーツ(球技)では、個人個人のコンディションはもちろん試合結果に影響をもたらしますが、その影響度を明確に数値化(可視化)しにくいため、状態を正確に把握することは難しいと言えます。その一方でマラソンをはじめとした測定された数値で競うスポーツは如実に結果として現れます。

どのスポーツも勝者と敗者が現れ、敗者には否応なく厳しい試練が与えられますが、距離やタイムを競うスポーツはときに勝者にすら微笑まない残酷さを課すことがあります。

目に見えない敵との戦いは壮絶で、相当なプレッシャーがかかります。
日常だけではとどまらず、スポーツにおいても「新しい生活様式」が求められているのかもしれません。

現時点ではコロナウイルスのない、元の世界でのスポーツは夢物語なのかもしれませんが、早くストレスから解放され、これまでどおりに実力を発揮できる世界でスポーツに熱中できるようになることを願うばかりです。

[その5]スポーツに〝感動〟!

歳を重ねるにつれて、「感動」モノに弱くなるという経験に、みなさん心当たりはありませんか?

新年あけましておめでとうございます。ランナーの皆さんにとって新年早々はやや特別な日ですよね。そう、駅伝です。今年、2021年に日本テレビ系で放送された「第97回 東京箱根間往復大学駅伝競争」の平均世帯視聴率が32.3%で、歴代1位となったようです。コロナの影響で沿道での観戦自粛を要請した影響もあろうかとおもいますが、テレビ離れが叫ばれる中、30%を超える視聴率を獲得できる番組(コンテンツ)だったことは、素直に驚きです。

寝正月気味で少し浮世離れしてしまった頭ではありましたが、「箱根駅伝」という番組(コンテンツ)は何故毎年多くの視聴者を集めるのか、ふと考えて見たくなりました。コロナの影響抜きにしても毎年全国で多くの方が心を動かされる「箱根駅伝」は何が魅力的なのでしょうか。皆さんも一緒に考えて見てください。

少し話は逸れてしまいますが、インタビューに答える各種競技の有名アスリートのコメントで「多くの人に感動を与えるようなプレーをしたい」という言葉に聞き覚えはありませんか?
決まり文句、テンプレートのような語感になりつつあるこの言葉に、正直に本音を言うと「冷ややかに感じてしまう」ことがたまにあります。もちろん、ストレートに心にグッと届くときもある言葉なのですが、何故か発する人や場面、状況によって届き方が異なることが個人的には多く感じます。何故でしょうか。

1つ提起できるとすれば、私たち「視聴者」は勝敗という「結果」以上に頑張る姿やこの舞台に立つまでの経緯、いわゆる「過程(プロセス)」に心を揺さぶられるからではないか、と考えています。

話を戻します。「箱根駅伝」の良さとは、私見ではありますが、放送の随所や前後に描かれるストーリー性やドラマ性にあるとおもっています。脚光を浴びている各区にエントリーした10名の選手だけでなく、エントリーされなかった給水担当や昨年はレギュラーだったにもかかわらず今年は本番までに調子を戻すことができなかった選手、怪我に悩まされている選手など、それぞれの選手にそれぞれの頑張る姿があり、非常にドラマチックに描かれて我々に届けられます。

本番一発勝負の大舞台で誰も結果を予想できない緊迫した試合展開、そこで十二分に実力を発揮できるよう努力を重ねてきた各選手の懸命な姿には、勝敗を超えた心を動かす感動があるからこそ、「箱根駅伝」という作品に浸ってみたくなるのではないでしょうか。

箱根や甲子園、国立、花園、オリンピックなど夢舞台が限られていればいるほど、人はひたむきに努力を重ねられること。誰かに教わったわけではありませんが、私たちは様々なジャンル、出来事に触れてきているから、自然とスポーツは「頑張っている姿の可視性が高いこと」を実体験の有無を問わず「経験値」として積み重ねて過ごしてきています。

大人になると涙腺が弱まる、といった言葉もよく耳にしますが、これは身体の衰えではなく、経験値が高まったこと、感受性の引き出しが多くなったことに起因して、「感動」モノに結びつけやすくなったように感じます。

コロナ禍で多くの人々が不安を抱えながら、日々を過ごしています。
感動はエネルギーの源泉です。大切な自分の周りにいる人たちのために勉強や趣味、何でもよいです。ひたむきに取り組むあなたの姿は、大切な誰かのために感動や勇気を与えることができるかもしれませんね。

「箱根駅伝」でココロだけではなくカラダも動かされた私は、散歩のつもりが思わずジョギングに。スポーツによる感動はどうやらエンジンにもなるようです。

[その4]素直に感謝・・・

1つのことを成し遂げたあとに出てくる感謝の言葉ほど、心にグッと届くメッセージはないと思うことがありました。今年、社会現象とも言える人気を博した漫画『鬼滅の刃』の最終巻となる第23巻が2020年12月4日(金)に発売されました。この日、集英社は最終巻の発売とコミックス累計発行部数1億部突破を記念して全国紙(産経/朝日/読売/日本経済/毎日)に全面広告各紙4面掲載するという類例のない、インパクトある広告をおこないました。掲載された4面のうち3面には同作に登場するキャラクター3人が登場し、作中で語った印象的なセリフとともに、「夜は明ける。想(おも)いは不滅。」というコピーが添えられていました。また、残り1面には全国紙5紙共通で、作者の吾峠さんから「応援してくださった皆さま、本当にありがとうございます。たくさんの方に助けていただき、支えていただきました。皆さまの歩く道が幾久しく健やかで、幸多からんことを心から願っております」というメッセージが寄せられていました。
最終巻が発売される時点では、既に日本中を席巻するほど『鬼滅の刃』は知れ渡っていましたので、この広告自体の目的はさらなる売上を目指したPRではなく、作者の吾峠さんの「素直な感謝」を日本中の皆さんに伝えるための「場」としてあるのだと私は感じました。

私自身、この「素直な感謝」に触れる機会が年に必ず1度あります。それは、現在指導に携わっているサッカー部の最高学年の選手が引退する日(引退試合等を開催する日)です。
学生スポーツの場合、どうしても定期的にステージの終わりを迎えてしまうため、一時的な場合もありますが、ピリオドを打つ日が訪れます。

引退試合の日は、試合そのもの以上に、その後のセレモニー(選手一人ひとりの想いを伝える場面など)に言葉にできない感激が生まれます。
活動中は様々な想いを巡らせながら、賢明にひたむきに努力し続けている彼らがようやく立ち止まることができ、振り返ったとき口からこぼれる想いは、純粋すぎるほどの「感謝」にあふれています。
まるで走馬灯のように支えられてきた方々の顔が思い浮かび、その人たちによって活動を続けることができたことに対する「素直な感謝」は、もちろんどんな経験を通じても生まれるものではありますが、私はスポーツを通じて出てくる言葉ほど揺さぶられるものを知らないです。

「感謝」なくしてスポーツは成り立ちません。いい記録を出した時に伝えたい人、喜びを分かち合いたい人がいるからこそモチベーションに繋がります。
マラソンランナーは孤独に映ります。走っている本人ですら、孤独を感じることがあるほどです。でも、皆さんは本当に孤独ですか?一人で走ってきましたか?
その踏み出した一歩は決して自分だけの力で踏みしめているものではなく、支えてくれた人がいたからこそ出た一歩ではないでしょうか?

暗い話が多い今の時世に、地道に進めばいつかは明るい未来があることを伝えてくれる、「夜は明ける。想(おも)いは不滅。」というメッセージは、マラソンに通じるものを感じませんか、と問うのは少し強引でしょうか。

最後に、かくいう私もこの広告に感化され、このような考えの作者が書いている作品はぜひ読みたいと思い、『鬼滅の刃』を買ってしまいました。
これはこれで思いっきり広告宣伝効果を受けているのですが、きっかけはさておき、素敵な作品に触れる機会となったことには「素直に感謝」しています。

[その3]「スポーツ」という言葉からどのような印象を受けますか?

皆さんは「スポーツ」という言葉からどのような印象を受けますか?
健康的、爽やか、楽しい…など明るい印象を思い描く人が多いのではないでしょうか。

2年前、私が勤めている追手門学院大学経営学部のオープンキャンパス(高校生に大学を見てもらい、進学の参考としてもらうイベント)において、ガンバ大阪の社長としてガンバ黄金時代の礎を築き上げた経営者としてのキャリアをお持ちの金森教授(当時)に登壇いただき、高校生に向けて「スポーツマネジメント」の講義をおこなう機会がありました。

その講義の中で、金森先生は黒板に大きく「スポーツは○○と□□を与える」と書いた後、参加している高校生に対して「○○と□□に当てはまる言葉はなんだと思う?」と次々に問いかけていきました。皆さんならどのように答えますか?

高校生からは「勇気と希望」や「団結と喜び」など様々な回答がありました。程よいあどけなさを感じるポジティブな言葉が並んだこともあり、授業参観をしている保護者のような気持ちで様子を眺めていました。ひと通り尋ねたあと、金森先生が○○と□□に当てはめた言葉は「喜びと苦痛」でした。その板書を見て、ぞわぞわと鳥肌が立ったことをいまでも鮮明に覚えています。

私自身も選手として、指導者として様々な競技に携わってきましたが、「喜びと苦痛、どっちが多かった?」と聞かれると、明らかに苦痛のほうが多かった、と即答できます。マラソンランナーの皆さんのみならず、スポーツに打ち込んだことがある人のほとんどは、私と同じ回答になるのではないでしょうか。

そして、その思いは選手としてそのスポーツを行っている自分自身だけではなく、その姿を応援する人にも当てはまるような気がします。

私が現在顧問を務めるサッカー部の部員は約70名。サッカーは11人の選手がピッチに立つ競技ですから、チームの代表として試合に出場できるのは一握り。どれだけの努力を重ねても、ベンチに入れず、大会ではスタンドから大きな声で仲間たちに声援を送る部員はどうしても出てきてしまいます。そして、その部員にはもちろん、その努力を陰ながら支えてきた家族がいます。毎年、このような非情な場面を幾度となく目の当たりにしていますが、こういった「苦痛」があるからこそ、スポーツを通じて得た「喜び」は何ものにも代えることができない高揚感を生み、自分自身が納得できる成長を感じられるものなのかもしれません。

スポーツは不思議です。「苦痛」の絶対量が明らかに多いにもかかわらず、その「苦痛」があったからこそ、いまの自分があったり、より成長・進化できたり、一生の宝物になる経験をすることができます。
なぜかマイナス面ばかりに目がいかない、何事もプラスに転じてしまう「スポーツ」は偉大ですね。

[その2]スポーツをストレスなく行えることは幸せなこと

最近、「スポーツをストレスなく行えることは幸せなこと」だと認識する機会がありました。

私は約15年前から追手門学院大学体育会男子サッカー部の顧問をしています。今年度はコロナ禍の影響で、練習ができないだけではなく、学生サッカーにとって最も重要な関西学生リーグ前期日程が中止になるなど未曾有の事態の連続でした。

9月に入り、関西学生リーグ後期日程は開催することとなり、ようやく学生サッカー界も活気を取り戻す契機になると思った矢先、今度は試合をできる場所が確保できない、という大きな問題に直面しています。学生サッカーの公式戦の多くは連盟に所属している各大学のグラウンドを使用することが多く、各大学の協力の下、リーグ戦などが成り立っているのですが、今季は多くの大学が他大学を招いての対外試合を禁止しています。追手門学院大学も感染拡大防止の観点から、他大学の学生等の入構を制限しており、試合会場としてグラウンドを提供することが叶いません。顧問として非常に歯がゆい想いをしています。

最近、ランニングやサイクリングといったスポーツが再注目されているのは、時間や場所に関する制約が他のスポーツと比べて少なく、自分で環境を整えることができる、コントロールできる点が大きく影響しているのではないか、と感じています。テレワークの浸透にともない、自分でコントロールできない環境や制約(出勤時間や会社での座席など)が薄れ、自分自身をマネジメントする機会が増えたことから、自由意志が強く働くスポーツに人気が出ていると思うのは考えすぎでしょうか?

再注目され、ブームに乗っかっているようですが、私自身も最近ランニングをはじめ(正確には再開し)、カラダを自由に動かすことに小さな幸せを感じているところです。が、走っている最中や走り終えて間もなくカラダのどこかに痛みを感じることが多くあります。特にひざや足首に痛みが出ることが多く、歳のせいだ、と悲しくも言い聞かせていました。

そのような中、還暦を過ぎた知人に会う機会がありました。その方は、今でも180度近い開脚ができ、腰痛もなく、健康状態も非常に良好とのことだったので、その秘訣をうかがったところ、私が昔言っていた「教え」を忠実に守り続けた結果だ、と言うのです。

私は以前、住んでいる地区の子どもたちに走り方の指導をおこなっていたことがありました。そのときに繰り返し伝えていたことが「ストレッチを大事にすること」でした。知人との話から当時つけていたメモの存在を思い出し、収納箱から引っ張り出すと、そこには「反動をつけずゆっくり」「痛く感じず、筋肉が気持ちよく伸びているところで20秒程度」「息を止めず、リラックス(自然な呼吸で)」「身体を温めてから(軽いジョギング・入浴後等)」「人と争わない(自分で目標を設定)」と、5つのポイントが書かれていました。指導する立場にあった者が、すっかりそんなことを忘れ、柔軟性を失い、ひざの痛みにうなだれる一方、継続は力なりと言わんばかりに柔軟性を維持し、スポーツに限らず豊かな生活を送る知人に感服するばかりでした。

スポーツ、運動は人々のこころを豊かにする活動の1つです。その活動を支えるのは運動をおこなうための環境と資本となるカラダです。自由にのびのびと運動をするための環境やカラダが凝り固まってしまっては、豊かになるための活動でかえってストレスを感じてしまいます。コロナ禍を通じて、自発的な活動で柔軟性を維持・向上できるカラダと違って、運動をおこなう環境はなかなか柔軟性の担保がしにくいことに気づかされました。環境に嘆くことなく、運動を楽しむことができる日々が一日でも早く戻ってくることを祈るばかりです。

[その1]コロナ禍の中で

7月下旬、大学のグラウンドでサッカー部の練習が再開しました。4月からオンラインでの講義が中心となり、大学で学生に会うことがほとんどなく、約5か月ぶりに再会することができました。学生のいない、静けさの漂う大学は違和感だらけ。綺麗なキャンパス、静穏な環境で執務に没頭できる日々よりも、学生の元気な姿が所狭しと見かけることができる日常の尊さに、言葉で表すことができない感情がこみあげ、心が豊かになっていく感覚に浸りました。豊かさは、「モノ」ではなく「気持ち」で満たされるものだと再認識しました。

私の前向きな姿勢とは対照的に、大学生は前途多難です。世界経済のV字回復は困難な状態で、4月から6月のアメリカGDPは32.9%の減少と、衝撃的な数字が出ています。大学教員の立場で気になることは学生たちの就職活動ですが、厳しい時代になることが予想されます。

今年の4年生は、多くが3年生の早い時期からインターンシップという名目で就職活動がスタートしていました。コロナの影響で突然環境が悪化したと思われていますが、実は2019年夏頃から米中貿易摩擦の問題などに起因して、景気に陰りが見えていたような印象があります。そのような中、新型コロナウイルス感染拡大防止にともない、就職活動に制限がかかり、就職活動(インターンシップ)に注力していた学生はオンライン面談などで早々に内定が出る一方、3月頃から本格的に頑張ろうと考えていた学生は、入口すら閉ざされた状況に陥ってしまいました。その後7月に入り採用活動は再開し始めたものの、内定獲得状況は二極化している印象を受けます。現在の3年生は過去の情報が参考にできない状況で、大きな不安を抱えながら、企業の採用活動(インターンシップ)に参加し始めています。

2021年3月決算予想では、多くの企業で大幅な減益もしくは赤字が見込まれます。企業にとっては厳しい状況下ではありますが、人材確保は企業の生命線と考え、採用数は減らさないでほしいと心より願っています。

ただ、もしかしたら、就職活動のことを気にして病んでいるのは私だけかもしれないと錯覚してしまうほど、私の研究室からよく見える大学グラウンドで課外活動に取り組んでいる学生の姿は、輝かしい笑顔であふれかえっています。

グラウンドで動いている学生たちをみているとつい動きたくなり、ランニングシューズを履いてこっそりトレーニングを始めました。予想以上に体は重いのですが、動ける幸せを感じています。学生たちは、おじさんの私にはわからなかった本当の幸せを知っていたようです。

自分の住んでいる街を散歩したりランニングしたりすることで、小さいながらも、本当の幸せを感じてみてはいかがでしょうか。

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